おわら風の盆の旅


高橋治著【風の盆恋歌】を読んだのは十数年前になるだろうか・・・
運命の再会から年に一度、風の盆の時に逢瀬を重ねた儚い恋物語
が心に残りいつかは八尾を訪れたいと思っていた。二年前は、岐阜
の出稽古と重なり断念したが、また今年【風の盆】のお誘いを受けた。
今度こそと早くから飛行機の予約をして楽しみに旅立った。
とは言え声を掛けて下さった高月さんとはゆっくりとお話したこともなく
メールのやり取りだけで話を進め、間際に送られた宿泊先の案内図と
八尾の町並みの地図を頼りに富山空港に着くとタクシーで目的地へ。
昼過ぎは道路規制があるというので朝一番の便で着いたのだが、八
尾の町はまだひっそりと店もまばらにしか開いていない。道路の両側
に連なる【風の盆】の文字や歌詞が書かれたぼんぼりだけがこれから
賑わう祭りの予感を漂わせている。早朝とは言えもう日差しは強烈で
思わず若宮神社の木々の下陰で一休みする。

八尾町は富山平野の南西部にあり飛騨山脈に連なる街道筋の富山
と岐阜の県境にあり、江戸末期は「越中の蚕都」と呼ばれるほど養蚕
で繁栄し、文化や芸術の成熟度がかなり高かったようだ。何代も続く
どっしりとした構えの店先には花器に活けられた草花が涼しげに揺れ
石畳の両側には黒光する鉄板の下を絶えず水が流れ、静かに暮らし
てきた昔の面影が偲ばれる。
ひたすらじりじり照りつける街中を夢中でさ迷い歩いていたが、ふと、
東京から車で到着する高月さんから「【風の盆】は明け方まで続きます
から昼間は静かに昼寝でもしていて下さい」の言葉を思い出し、昼近く
なり美味しそうな匂いが漂う曳山会館前の出店で白海老の揚げ物を
つまみにビールでほろ酔いし宿で昼寝をしながらこれから出会う一行
を待つことにした。

西新町の大通りから少し奥まった路地にひっそりと「きものと素食のお
みせ」をしている【和布】はこの季節だけ常連のお客を泊めるという。
富山湾近くのお寿司屋へのドライブの折に知ったのだが、高月さんは
高橋治氏の秘書をしている時に八尾に同行し爾来【風の盆】に魅せら
れ15年通い続けているという。その友人は20年以上・・・と、皆「おわら
節」の優艶な曲と踊りに逢いに来るとの話を聞き、私もどうやら縁の糸
で手繰り寄せられてしまったのかも・・・と思った。

日中の照りつく暑さも闇に紛れ、涼風が虫の音とともに届く頃、夕食も
すみ、浴衣に着替え,そろそろ街に繰り出そうとしている時、私が邦楽
を生業にしていることを知り会いに来てくれたひとがいた。
その柴田力弥師もすっかりおわら節に魅せられ、地元のひとに教えを
請うたが部外者には教えられないと言われ、八尾に住み着き修行し、
今ではおわら節の歴史を紐解き、昔唄われていた本当のおわら節を
掘り起こしたいとCDを制作したり、お座敷で解説をしながら演奏して
いると言う。
今のおわら節はあまりにも観光客を意識し大所帯になり過ぎ、素朴な
本来の味わいが薄れてしまったのが残念でたまらない、伝統芸は原
点を変えてはいけないが、持続してゆくにはどう変えなければならな
いかを見極め、時代の変遷のなかで日本独自の難しい間合いを若い
人達にどう伝えてゆくかが今後の課題だと思うとおわら節の行く末を
語る姿に、私の胸もいつしか熱くなっていった。
力弥師は叔父である三木のり平の影響を受け、ジャズを歌ったりアン
ダーグラウンドな役者の傍ら神楽坂で幇間としても活躍し、なんと私
の唄の師であった神楽坂まき子姐さんとお座敷を共にしていたと言う。
ここでも縁は異なもの味なもの!とたっぷり端唄や色っぽい都々逸に
耳を傾けてゆくうち瞬く間に夜が更けてゆく。軽妙な話芸をいつまでも
聴いていたかったが、闇の中から遠音に聞こえてくる哀調を帯びたお
わら節に気もそぞろになり下駄をからころと鳴らし外に飛び出した。

八尾は、諏訪町、鏡町と11の町名を持ち、独自の演奏や踊りの稽古を
尽くした「おわら連」が、地元の町内会館、中心の曳山会館特設舞台、
あるいは何段も連なる石段を客席にした広場や店先で演奏が始まり、
夜が更けてゆくとあちこちの道路を三味線や胡弓を手にした着流し姿
の男衆が延々と観客と共に練り歩いてゆく。町内毎に趣向を凝らした
あでやかな浴衣に黒い帯を絞め、笠を目深にかぶって踊る若い女性
のくねった腰に白いうなじが揺れ、それをりりしく受け留めるかのよう
に半纏とパッチ姿の男達の頑丈な手首が大きく刀のように反り、時折
重なり合う姿はなんとも色っぽい。そして圧巻なのは、白足袋の雪駄
を右左に摺り足しながら扇子や団扇で間をとり、絞った喉から湧き上
がる燻し銀の声と節づかいである。

久さびさで 逢うて嬉しや別れの辛さ 逢うて別れが なけりゃよい
お風邪召すなと 耳まできせて 聞かせともない 明けの鐘

おわら節は、芸者衆や旦那衆が座敷で唄いあった浄瑠璃や端唄が元
になって独特の民謡になったと力弥師が言っていたが、この粋で薀蓄
のある節々は若い声では到底唄えるものではない。歳を重ね、年輪を
経た男衆でなければ出せない味わいである。同じ曲でありながら連に
よって少しずつ違うその趣向に、酌めども尽きぬ酒に酔ったように観
客も一緒になって憑かれたように延々と練り歩いてゆく。
私もそのなかにいたが、人波を縫って石畳の坂道を歩くことに疲れ、
ふとその輪からはずれ ひとり離れた闇に紛れ込んだ。
今まで聞こえなかった虫の音が耳元にささやき ひんやりとした夜風
がはだけた浴衣の襟元に沁みてくる。さっきまで絃を張った白い弓が
妖しく揺れ、身体中に纏わりついていた胡弓の音がゆるくほどけ、忍
び泣きながら少しずつ遠くなってゆく。
「風の盆恋歌」に逢瀬を重ねた二人が夜更けに枕元で聞いたのは、
こんな音色ではなかったのかしら・・・ 
これから街を練り歩くという夕暮れ時 纏め役の男衆が語ってくれた。
今朝は最高だったよ。空が白々と明けてゆくなかで客が一人減り二人
減りし自分達だけになり、気だるい疲れのなかで陶酔したように演奏
している時がなんともいえず良かった・・・と。

3日間の昼夜がひっくり還った【風の盆】の旅から帰ると何人かに聞か
れた。あまりの人の多さで踊りが観られなかったと文句を言う観光客
が多かったと新聞やテレビで報じていたけど大丈夫だった?と。
五穀豊穣を感謝し風の災害の起こらないことを祈る小さな祭りが、い
つしか全国各地から観光客が押しかけ、日本を代表するお祭りになっ
てしまった。きっと地元の人たちは注目される喜びと自分達の祭りで
なくなってしまった戸惑いとがない交ぜだろう。そしておわら節を愛す
る人たちは毎年宿を予約し、この日のために時間を作りようやく地元
に溶け込み楽しむというのに、観光バスで数時間の物見遊山では、
ほんものの【風の盆)】は味わえまい。

私のはじめての【風の盆】はひとり闇のなかで遠音に聞いたおわら節
の残り香だろうか・・・
明治に吹き込まれた芸者の唄や名人と謳われた男衆のノイズの音を
縫ってCDから聴こえてくる魂の声に 夜毎耳を傾ける昨今である。

                                                                        (2010年9月20日)